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DV後遺症

[2016.04.07]

先日話題となった少女の監禁事件から、「適応機制」という言葉が報道に取り上げられました。適応機制とは「その空間や状態に当初は苦痛を感じても、無意識のうちにいつのまにか適応していくようになる」ということですが、これは大きなポイントです。なぜならこの適応機制が続くと、トラウマの影響がその後の生活に再現されるからです。

トラウマといえばDVが代表的でしょうか。例えば夫が妻にDVをしている場合、当初は夫の暴力や罵りに痛みを感じていた妻が、知らず知らずのうちにある意味順応していってしまうのです。極端になると、妻が次第に生活の是正を訴えなくなってきます。そしてまた閉鎖空間の中でDVが継続されます。

DVに起こる適応機制は簡単に以上のような流れですが、このいわゆる「順応」が円滑に進む程度は、実は夫婦個々の婚姻前の生活で得た物事の捉え方によります。

まず夫側の要因は、いわゆる「マメ」です。ただしこの「マメ」は決して余裕のある温かいまなざしから来るものではありません。この夫はいつも人間関係に不安なのです。不安な夫は妻にいつ裏切られるのかに過剰に敏感になり、極端にいえばストーカーのような心理状態に陥ってきます。もちろん目に見える行動に至る場合もありますが、多くの場合この夫のこころの内にあるストーカーのような想いは、実は「極端なやさしさ」としてあらわれてきます。

この極端というのは、妻が思ってもみなかったある意味サプライズな振る舞いが多くなります。よく例えられるのは、「DVした翌朝に、夫は目玉焼きを作って妻の目覚めを待っている」という風景です。この思ってもいない行動が繰り返されると、次第に妻は「水に流す」ことを覚えていきます。

一方妻側の個々の事情もあります。この「水に流す」というのは、「考え続けて苦痛を味わい続けるのなら、なかったことにしてしまった方がいい」という子どもの頃からの体験が影響しています。心理学用語でいうと「抑圧」といいますが、このなかったことにしてしまうという物事の収め方は、力のない子ども時代に、力のある人間とのやり取りから会得するモノの考え方です。

このように「マメ」と「水に流す」が掛け合わされて、継続的なDVが出来上がります。先日の監禁事件と同様、DV問題が発覚しにくいのは、実は「人は当たり前になると言葉を失う」からです。その場の状況を表現する言葉もしかりですが、何よりトラウマ体験は「怖い」「辛い」などの本人の感情表現をどこかに追いやってしまうことです。かつこの心理状態が別の人間とも再現されることで、新たに拙くかつ緊張感の高い人間関係が築かれることにもつながります。

以前から「トラウマが影響した人間関係の治療」は、「見失っていた言葉を取り戻す」ことを一つの通過点としてきました。この四半世紀で変遷はありますが、現在でも各種の自助グループの存在意義は大きいといえるでしょう。言葉にすることは、日頃私たちが考えている以上に欠かせない習慣といえるかもしれません。

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