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対人恐怖(赤面恐怖)について

 「対人恐怖」という診断名は、現在汎用されている国際的診断には入りませんが、日本ではいまなお大切に用いられる診断用語です。

 「人間関係は、アレルギーである」と別項でも頻繁に書きました。例えばアレルギーの代表的疾患である花粉症では、初回の花粉への接触の際には身体は大きな反応を示しません。しかし実は身体の内部では、「そのモノは拒否すべきもの」と判断しひそかに身体を防御すべき免疫活動を活発化させています。もちろん、この時点では本人すらその準備段階を知りません。花粉症の発症はこのような前提のもと、その後同じような花粉がやってきたときに、今度は強烈な拒否反応として涙や鼻水・くしゃみが際限なく止まらないといった身体症状が現れてきます。もちろんアレルギーですから適切な拒否水準以上の過剰な反応をしているのですが、これは身体としてはそれまでの流れとして「これは異物である、危険だ」と行き過ぎた認識をしてしまっているのです。

 こころも、特にトラウマと呼ばれるものに接すると過剰な怖さを呈するということは想像に難くないと思います。しかしトラウマには大きく分けて二種類存在します。ひとつは単純トラウマ(あるいはシングルトラウマ)といわれる、大きな自然災害や驚愕事件によるものです。これは問題が明確であるため、怖さとして反応しているご本人も認めやすいということがありますので、トラウマ反応は強大なこともありますが、収束していく流れを比較的感じ取ることが出来ます。

 対してもう一つのトラウマは複雑性トラウマ(コンプレックス・トラウマ)といわれるものです。これはDVや虐待など、閉鎖的空間でかつ長期間にトラウマ体験を被った結果、後になって大きなアレルギー反応という形で精神症状を呈するものです。この場合前述のシングルトラウマ由来と違って、これといった事件や事故について周囲はおろかご本人も明確に出来ない場合もあり、よって原因をどこに求めてよいかがつかめず、何に焦点を当てていったら適切かに時間を要することがあります。またトラウマそのものに向き合う怖さも大きいため、治療の取り組みが遅れることもあります。

 さてこの「対人恐怖」というのは、後述の複雑性トラウマの形で長期間かつ閉鎖的な中で被った人的トラウマによって引き起こされていることがほとんどです。丁寧にその方のこれまでを紐解き、かついまの「とき」に触れながら、それまでの「怖い」とは異なった様々な新しい感覚のレシピを体得していくことを必要とします。これは元の状態に戻すという意味の「治す治療」ではなく、構築の治療です。「なんで人が怖いの?」という目先に事象にこだわればこだわるほど、対人恐怖という形のいわば強迫思考は強化されてしまいます。「とき」をフィードバックし、「怖さ」から次第にいまの私に影響を及ぼさない「思い出」として包んでいくうちに、それまで抵抗を感じていたモノを知らず知らずのうちに体得していく・・・これが、対人恐怖からの回復の流れです。

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