こころ、こんにちは。

強迫・強迫性障害について

強迫とは

強迫とは、「考えまいとわかっていても脳裏に浮かび、自分で払いのけることのできない様子」と、辞書にはあります。(大辞泉参照)辞書の言い回しは多少大げさに言い回しですが、健康な人でも、縁起を担ぐ、ひとつひとつ細かく敷石を踏みながら歩いていくなど多かれ少なかれ「強迫機制」というものは持ちながら生活しています。むしろ、現代人は何らかの強迫機制を持っていながら生きているといっても過言ではないかもしれません。

強迫性障害の分類

強迫性障害の症状は、大きく「強迫観念」と「強迫行為」とに分けられます。

「強迫観念」とは考えへのこだわりのことで、多くは人間関係的な発想から来るものです。「自分が知らない間に周囲の人に迷惑をかけているのではないか、あるいはかけてしまったのではないか」(加害恐怖)、あるいは「もしこのガラスが壊れて、家族が怪我することはないか気になる」(被害恐怖)といったものがあります。日常見られる中にもありますが、「もしこうなったらどうしよう」と過剰に心配し、より100%に近い完璧な状態を追い求める様子を「強迫的」と言ったりします。

また「強迫行為」には、「手を何回も洗わないといられない」(洗浄強迫)や、「鍵をかけたかどうか心配になって何度も戻って見返してしまう」(確認強迫) などがあります。
しかし強迫観念と強迫行為は、実際には双方同時に存在したり一つのエピソードとしてつながっていたりすることが多く、症状の分類上分けているにすぎません。

強迫の疾患水準

強迫が病気・疾患という水準になるのは、どの程度をさすのでしょうか。

精神医療では、症状として目に見えなくても「悩み」となればそれは相談に値すると先に書きました。強迫の多くの場合「悩み」となるのは、次の三点が挙げられます。

ひとつは、「本人も目の前について考えをめぐらしたり、行動したりしても、何も変わらない」ということです。つまり、いまの思考や行動に生産性を感じず、堂々巡りになっているという点です。

「悩み」となる二点目は、これは一部の「強迫」には該当しないことはありますが、強迫の多くを占める強迫性障害の診断では、「わかっているのにやめることができない」という点が挙げられます。つまり、「ご本人がその行為思考が無駄だとわかっているのに、やめられない」という点です。

さらにこの強迫性障害の強迫には、もうひとつ無視してはならない要素があります。それは、「わかっているのにやめられずに続けている自分を、異常であると感じている」という点です。異常と感じていなければ病院には来ないのだから、そのようなことは当たり前ではないかと思われるかもしれません。しかしこのことはないがしろにはできないことなのです。なぜならこの「本人が感じる異常感」は、実は「本人がいま抱えている罪悪感」に結びついていることが多いからです。

これらをまとめると、強迫とは「本人がいまとらわれている考えや行為が、いまおよびこれからの自分にも無意味であることをわかっていて、そのことにとらわれて悩んでいる自分もまた不健康であることはわかっている。よってこのことを考えないようにしよう、やらないようにしようと強く心に思うのどが、自分の想いとは違って離れることができない。」となります。

強迫性障害の治療

強迫性障害の治療には、薬物治療と精神療法、場合により自助グループなどの様々なコミュニティへの導入を有機的に絡めていくことが肝要です。

薬物療法には現在、SSRIやSNRI、時には三環系といった抗うつ薬を主剤として用い、抗不安薬などを併用します。症状が著しい場合には、緊張感が高く、目先の強迫事項から目を移すことが難しくなっており、正常な判断能力が失われているときがあります。このように全般的に暮らしにゆとりの入る隙間がない場合には、和らげるためにこれらの薬物を用います。また睡眠に支障を及ぼす場合は睡眠薬などを提案することもあり、実際には症状に合わせて様々な向精神薬を組み合わせて服用していただきます。

精神療法には、後述するように過去の体験と症状が現れてくる流れや関連性を紐解いていきます。これまでの人間関係や家族関係、本人の願いやこれまで我慢をしてきたことなどが話題になります。神経症性疾患はどれもアプローチは似ていますが、症状をきっかけとして、「ご本人が気付けなかったことを見つけていくこと」あるいは、「いつの間にか見失っていたものを取り戻していくこと」ことがテーマとなります。

強迫のキーポイント「強迫は時を止める」

ではこの「やめようと強く心に思っているのにもかかわらず、やめることができない」のはなぜでしょうか。それは、「それをやめてしまったら、より自分にとって怖いこと、嫌なことが起きる。」という恐怖や不安があるからです。

人間は当然ながら、自分の嫌なことはできれば起こってほしくないと願っているし、できるだけ回避しようと考えながら暮らしているのが人情です。大人になればなるほど過去の経験も増えてきて、子供の時のように端から何でも挑戦するようことができなくなることも多いでしょう。どうしても過去の経験に引っ張られ、いわば「怖い物」をたくさん身に着けるようになります。あとで見返りや自分に役に立つかもしれないというプラス面の想定があれば目先の困難に向き合うことができますが、不安や心配が大きければ前進や変化に向けてとの行動にたじろぐようになるのは当然でしょう。

ここで強迫は、まがいなりにも「時を止めること」につながります。一つの考えや行動に執着することで、根っこに持つ不安や心配が進むことをご本人の頭の中から遠ざけさせることができます。日常には「時間経過」という形で、ある意味「ベルトコンベア」や「動く歩道」のように自分の意志には無関係に動かされて人生を送っていますが、強迫というやり方で時間を止めることで、これまでの体験からご本人が感じている不安や心配がある未来への「動く歩道」を進まないようにしているわけです。

よってご本人が訴える不潔強迫や確認強迫の内容には、現実には見合わない、客観的には無理がある事柄ですが、実は強迫行為をせざるを得ない不安や心配は相当大きなものが隠れていることがあります。ですから、「タダではやめられない」のです。これはご本人のこれまでの体験が影響していることが多く、それゆえひとつひとつその複雑に絡まったものを紐解いていくことが、「強迫をしなくて済む私」への道しるべとなります。

強迫は本人の「願い」や「想い」の裏返し

強迫性障害とは確かに「強迫思考」や「強迫行動」といった「症状」を示す診断ですが、別の見方をすれば、実は「自分の衝動をコントロールすることができない」という衝動制御困難の要素が含まれています。

そしてこのような「衝動」に関する疾患には、実はご本人の本当の「想い」や「願い」と、「抱えている怖さ」の双方を無視することができません。よってこのように強迫性を呈する疾患に対しては、症状のみを見つめるのではなく、症状を呈することになった環境やきっかけ(トリガー)に加え、本人のこれまでの背景や体験を見つめていくことがとても大切なことになります。