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コミュニティについて

コミュニケーション体得の過程とトラウマの影響

我々は幼少期から、少なからず大人同士のやり取りを見ながら人間関係を身に着けてきています。よってそのご自身の身に着けるモデルとなった大人(たいていは親ですが)のコミュニケーションと、いまご自身の周りのコミュニケーションとの間に乖離が生まれ、それをいま持っている方法では上手に裁くことができない時に、「人間関係に悩んでいる」といいます。

ここで家族問題や人間関係上のトラウマは、時を止めます。過去の体験が影響して緊張感に駆られているこころの状態は、コミュニケーションも含めあらゆることを「身につける」余裕を奪うからです。時間は過ぎていくも、自分が拓けていく暇がない状態です。そのようなこころの状態で暮らす中で、次第に社会や周囲との違いを目の当たりにする、トラウマはこのような影響力を及ぼします。
そこで考え方や方法を増やしていき、場合に応じて使い分け可能になることが、こころにラクにしていく流れです。そのような観点から、次のようなコミュニティという位置付けを大切にしています。

コミュニティとは

コミュニティとは、「三人以上で定期的にふれあう居場所」と定義しています。職場、学校、ボランティア、NPO活動、習い事、ジム、坐禅などがありますでしょうか。多少自由度は異なりますが、自助グループ、PTA、ママ友などもいまのところコミュニティとして考えています。

治療としてのコミュニティの意義

コミュニケーションが拓けていくために

客観性の時間を創る

コミュニティの大きな目的は、実は一対一のコミュニケーションからの脱却です。一対一でやりとりをしているときは、自分だけが話しているかまたは聞いている人間になるため、どちらの立場でも自分が主人公になっています。話し手も一人、受け手も一人といってもいいでしょう。このような時は自分と他人のコミュニケーションを体感として比較する余裕がなくなっています。一対一はある意味で常に本番のコミュニケーションであるからです。

対して、コミュニティとは自分を含めて最低三人以上です。すなわち一対一のやりとりとは違い自分だけが話しているかまたは聞いているかという時間ではありません。ご自身が話し手の時は、相手が二人以上いるため反応が人によって異なることを体験します。他方自分が受け手の場合は、自分とは必ずしも同じ反応ではない人がいることを体験します。

実は親子問題でも社会問題でも、人間関係上のトラウマはこの限定的なコミュニケーションがさらに大きくなるように影響を及ぼします。本人が受けたトラウマの加害者あるいは組織に、本人がむしろ捉われるようになるからです。これが一対一コミュニケーションの影響が相対的に大きくなってしまう流れです。コミュニケーションとは、自由な心の状態で盗んで身に着けていくものです。一対一から外れコミュニケーション上は自分が必ずしも主人公にならない時間帯を持つことで、客観性の中から多様な思考や感情、さらにはコミュニケーションが自然とつかんでいけるものと考えています。

他人の時間を利用することを体得する

そもそも人間関係は、カリキュラムで覚えていくわけではありません。俗に「自然と身につく」といわれるものは、学校の勉強のように自分が一人で懸命にこなせば成果が出るといったものではありません。そのような個人の頑張りによって身につく点も否定はしませんが、影響が大きいのは環境ではないでしょうか。そして人間関係で塞ぎ込まないこころを身につけるには、周囲を見渡しているという自由な空間が大切ではないかと思います。

コミュニティへの参加によって自然に導かれる「他の人の時間に乗る」という体験は、コミュニケーションの方法を開拓する、あるいは取り戻すために重要なスタンスであると考えています。主人公にはならない時間にこそ、自然に人間関係が変化していく兆しを感じとることが可能になると考えています。

「萎え」を無理なく確実に取り戻すため

こころの回復も身体の回復と同様です。例えば骨折したてのときは、まず黙って休養して骨が再び付くのを待ちます。この時間もとても大切な時であることは間違いありません。しかし骨が付いたあとは、それまでに萎えてしまった筋肉を戻すべく、少しずつ使っていきます。この「萎え」を取り戻す過程において無理のないようにするには、身体においてもこころにおいても、ひとり以外の時間があった方が無難です。たとえ個人競技のスポーツ選手であっても、練習はなるべくチームで取り組むのと似ています。

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