メニュー

人付き合いの悩みについて2

人付き合いの悩みと、その回復の流れ・その2

4. 人間関係は、過去の自己体験が否定できない

「運転すると性格が出る」といわれますが、やはり前述のように人間関係上のぎくしゃくは、各々の車の運転のクセに例えることができるかと存じます。前回の「右折が怖い」以外にも、「黄信号だとついアクセルを踏み込む」、「ブレーキが遅くなり急停車になる」「減速せずに曲がろうとして遠心力で流される」「モタモタしている車をみると、必要以上にクラクションを鳴らす」など、様々な気性の例として表されます。いまは「人付き合い」を「運転」に例えますが、このように一見小さなことでも、直したくても直せないものはクセであり、それには個々の過去の体験や感情が折り重なっている可能性が否定できません。

5.人間関係には環境も重要。本人だけの責任にするには無理がある

これまでは運転の仕方というものについて述べてきましたが、車の運転にはもうひとつ周囲の交通事情も考慮しなければなりません。極端な例ではありますが、北海道の一本道で対向車も歩行者もない道をただ真っ直ぐに走るのと、東京のようにカーブや規制が多く、同じ道でも日によって状況が異なる道を運転するのでは、自ずから必要な運転技術の数が異なります。それでも「事故」にならないように、これを人間関係に戻せば無用な「ぎくしゃく」や「いざこざ」に至らないように練るのが、「こころの運転技術」です。

6. 今までのやり方を、無理に捨てようとしないこと

人間関係を車の運転に例えるのは、回復や成長の方向性が似ているからです。運転技術を高めるのにとても重要なことは、「いままでのやり方を変えるのではなく、新しいやり方を覚えて、状況に応じて使い分けられるようになること」です。決していまのやり方をただ「捨てる」のではないのです。今まで使ってきたやり方に加えて、新しい振る舞いを身体で覚えながら、その場の事情から危険予測をしつつ、事故が起こらないように「選択」していくのです。

これは「料理のレシピを増やしていく流れ」に似ています。毎日同じ料理ばかりでは不満を感じますが、新しい料理を組み合わせていけば、献立としてのアレンジもできてきますし、実は今までのレシピをあえて取り入れる機会もできます。そして今までと同じことをしようとする時には、今度は「あえて選んで」使ったことになるので、他に方法がなかった時のように衝動的に仕方なく使ってきた時とは心持ちが変わっています。このような洗濯可能になった時には、自分が行ったことに対して罪悪感に引きずられることはなくなります。

繰り返しになりますが、決してこれまで使ってきた技は無駄にはならないのです。なぜならまがいになりにも、今までの自分には必要な技だったのですから…。

まとめ 「人間関係は、アレルギー」

対人関係はまるで花粉症などのアレルギー反応に似ています。最初の嫌な花粉 (こころでいえば「トラウマ体験」) が入ってきたことはその瞬間は本人は自覚しません。しかし身体の奥底では「これは入ってきてはいけないものではないか」と反応し、二回目以降には過剰な身体反応が出現します。これがアレルギー反応の代表格である花粉症で言えば鼻水やくしゃみ、涙目です。

人間関係上の様々な体験も、幼い頃に味わった出来事やそれに伴う感情は、他に比較するものがないため、本人にとってそれが適切なものか、やがて役立つものかが理解できません。子どもは事実や感情を、そのまま受け取るしかないからです。しかし強烈な出来事や子どもの中に起こった感情は、やがて他の出来事でも波及し、「同じようなことが起こるではないか」と恐怖感に苛まれることにつながります。

そこで心的外傷、「トラウマ」といわれる過剰なアレルギー反応を引き起こしている状態では、過去の出来事とそれに伴う感情を言葉にしていくというこれまでの手法に併せ、現在当事者にとって取り組み可能な様々なコミュニティを利用しながら現実の時をまわしていくことにより、今までとは異なる新しい体験を積み重ねていくことを後押しします。

そのように多様な世界を感じ取れるようになった際には、以前のような辛い体験がもたらす後ろめたさや引け目・負い目などをいまに引きずることなく、目の前の事柄について堂々と選択をしながら、いまを歩むようになっているでしょう。

そのような状態まで、ある意味助手席でお手伝いをさせていただきます。

▲ ページのトップに戻る

Close

HOME