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社会恐怖(社会不安障害)について

社会恐怖(社会不安障害)とは

社会恐怖(Social Phobia)または社会不安障害(Social Anxiety Disorder/SAD)とは、その診断名から想像できるように周囲に対する恐怖感で頭が一杯になるという不安障害の中に分類される診断のひとつです。それは一般的に「ひきこもり」の状態なのではないかと想像するかもしれませんが、実は必ずしもそうではありません。もちろんこの診断には、「ひきこもり」や「閉じこもり」の状態にみられる回避性人格障害(Aboidant Personality Disorder)という診断が付記される場合もありますが、反対に会社や学校など社会には概ね参加しているのにもかかわらず、社会恐怖(社会不安障害)と診断されることがあります。診断名からはイメージされない状態には、どのようなものがあるのでしょうか。

社会恐怖の中身は、過剰な「恥意識」「恥辱感」

この診断のポイントは、ご本人の「恥」に対する考え方です。いつも自分に対して恥意識が強いため、結果として周囲から悪くみられるのではないかということに対して敏感になっている状態です。従って、日頃社会に出ているからこそ「人から悪くみられるのではないか」と気にかかるようになるため、むしろこの「人から悪くみられるのではないか」に対して、「ひきこもり」など社会から逃れるという対処をした場合には、症状として強く現れないこともあります。

社会恐怖の症状は、身体症状

社会恐怖の症状は、主として身体症状です。ご本人の「恥意識」を賦活させる場所に居る、あるいは何らかのきっかけで「恥をかかされる場面を想像させられる」ことで誘発され、「心悸亢進」「過呼吸」「手足の震え」「発汗」などいわゆる「パニック発作」という形を呈することが多いです。この時ご本人は症状に対して「おかしい」という感覚が優位であり、避けられるものなら避けたいと考えています。よって、いわゆる「ひきこもり」という状態だけではありません。社会の中で症状を克服したいと懸命にふつうを装いながら暮らしている場合も多くあります。

回避性人格障害との併行診断

社会恐怖と併記される診断に、回避性人格障害(Aboidant Personality Disorder )があります。人格障害とは別記しますが、「物事に対する考え方や捉え方(認知)」「感情面」「コミュニケーション面(対人関係面)」「衝動」という4つのカテゴリーにおいて柔軟性が少ない状態を示したものです。人格障害は現在9つに区分されますが、いずれの人格障害においても大切なことは、本人としては本望ではないのに社会との軋轢や鬱積が生じてくるという不合理さを感じているところです。

回避性人格障害はその診断名から想像されるように、社会参加を避け続ける状態もありますが、一方で表面上親密な関係を気付きながらいつも怖がっているという場合もあります。この診断でキーとなるのは、こころの内にある「劣等感」です。もちろんこの「劣等感」も本人が知らず知らずの間に植えつけられてしまっているものです。自己責任ではないのに、この劣等感に対する振る舞いには責任を取らされるというなかで生きざるを得ないため、本人はたいへん「生きづらい」状態にあります。

社会恐怖の治療

薬物治療

診断名からは意外に感じるかもしれませんが、社会恐怖には薬物治療が奏功するケースが多いです。私たちは不安に駆られることが繰り返されると、不安に対する閾値が下がってきます。つまり社会恐怖のルーツは別にしても、現時点において不安が不安を呼んでいるうちに脳内の不安を司る箇所が過剰反応していると考えて構わないでしょう。この過剰な緊張感を取り除く役割として、薬物療法も十分に考慮されます。

治療薬は抗うつ薬が第一選択肢です。見かけはうつ病治療の薬物ですが、実はSSRIと呼ばれる抗うつ薬の中には、社会恐怖(社会不安障害)治療薬として明確に運用されているものもあります。またSNRIと呼ばれる抗うつ薬にも臨床上奏功する場合があります。抗うつ薬は安全に作られている関係で即効性がありません。このため特に初期には、抗不安薬を加えることで抗うつ薬の効き目が出るまでのアシストをすることが多いです。また重症の場合あるいは社会恐怖と併記される別の診断が付く場合は、抗精神病薬を加えます。
社会恐怖は神経症圏疾患の代表的なもので、「こころの問題」が大きいのは確かですが、この疾患の場合は薬物療法を用いて、「症状をやわらげること」から始める場合も多いです。

精神療法・面接・カウンセリングなど

上述のように、社会恐怖は「恥意識」に関する疾患です。過剰な恥意識ゆえ自意識過剰という言われ方をする場合もありますが、そこには「自意識過剰にならざるを得ない過程」があります。自意識過剰はあくまで防衛方法ですから、恥と感じざるを得なくなった由縁を紐解いていくことが回復につながります。

作業所・自助グループ、就労支援や企業など社会ツールの考慮

社会恐怖に至ったトラウマに再び暴露する状態を推奨することは、タダでは積極的にお勧めできません。しかし一方で社会恐怖は、誰にも積極的に触れあうことなく生きていること自体に本望ではないことが前提となる状態です。この本意ではないことを「まがいながらも」続けている様子は、まるでリスやハムスターがかごの中で車輪をいつまでも回している状態に似ており、ヒトがこの循環に陥ると次第にこころが疲れてうつになっていきます。

社会恐怖こそ、およそ症状を取り上げるだけでは到底不十分な疾患です。しかし一方で、一義的に社会から遠ざかり続ける方向を推奨してはおりません。社会恐怖に至った責任は本人にはありませんから、適切にこれまでの過去に向き合いつつ、同時に現在を回していくために様々な社会ツールを利用することを考慮しています。

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