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コロナショックのあとで : 過剰な煽られは養育環境に由来する

[2020.05.25]

そもそも有事時は「煽られた経験」が不安として顕在化する

次第にコロナも収束しつつありますが、前回に引き続き災害など有事時における「気が立つ」について振り返ってみたいと思います。
さて振り返ればこのコロナウイルス問題は、1月後半に中国から始まり、2月にダイヤモンド・プリンセス号、3月にはイベント中止が本格化し、4月上旬の緊急事態宣言とつながりました。東日本大震災などの自然災害と異なり次第に大きくなる様子は、隠蔽されがちな家族の中で生じる問題が徐々に肥大化するという流れによく似ていると思います。

複雑性PTSD

このように長期間にわたり次第に大きくなった流れに伴う精神的な不安定は、侵入回想、フラッシュバック、過剰覚醒に加え問題行動や依存症などを合併する複雑性PTSDの成り立ちに似ています。一回の自然災害等による単純性PTSDとはその後の流れが異なります。

複雑性PTSDの流れに似ていることは、このコロナの世間の流れに個人として ”どれだけ巻き込まれたか” や “世間の不安に煽られやすさ”です。これは成育過程において不本意な経験をどれだけ請け負わざるを得なかったかが影響します。これはいまの臨床の中にも叙述に見て取れます。

「不安の妥当性の吟味」 : 小さい確率は捨てていく

そこで虐待・DVなど家族問題、そして依存症や問題行動など習慣性の病の治療の根幹は「不安の妥当性の吟味」と考えています。この「妥当性吟味力」が培われるかどうかが、今後当時者の人生においての様々な判断に生きてくることと存じます。

養育過程で様々な悩みを抱えた方は、いまこの時に感じる不安を「0か100か」や「有るか無いか」に瞬時に分けるクセがあります。これは優位な立場の人の不本意な暴力な暴言などに対して、瞬時に危険かどうかを判断して行動しなければ生きていけなかった被害者側の「後遺症」です。

ここで前述の「不安の妥当性の吟味」とは、世間の不安が自分に生じる可能性を考慮して、適切に行動を判断する力のことです。生じる可能性を吟味した後には、「ここまでやって、あと生じる可能性が少ないと判断される段階では、わずかな確率は捨てていく」と考えられるようになることです。

確かに養育環境に苦しんだ方ほど、「起こるかもしれない。起こったらどうしよう」から「この不安はどの程度生じるのか」という俯瞰を身体で覚えていくには抵抗があります。しかしこのことが必要な理由は、いくつもの不安に過剰反応し。とても起こりにくい確率に目を注ぎすぎた結果、「容易に受け取れる幸せを受け取ることが出来ず、かつ受け取らなかったことに気付かない」ことが生じてしまうからです。

このような流れはさらに困ったことに、その後有事が収束した際に「自分は正しかった」と過剰な自己正当化します。そしてこの正当化は、今後周囲に自分の当時の行動や想いを「強いる」ことで、また世代伝達していきます。

ちなみに「起こりそうもない小さな確率は捨て、その結果確実に得られるものを得る」は、有事時のみにあらず、日常が戻ってきた時代にこそ重要になる感覚であると思います。

これを培っていくのがトラウマの治療の肝といえるでしょう。

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