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コロナ禍で誤解が多くなる

[2020.09.25]

「どうせわかってもらえない」

先に病気を例にして恐縮ですが、例えばアルコール依存症には「否認」というワードがあります。つまり「私はアル中じゃない」というものです。以前はこの「否認」に対し「底付き体験」、つまり「本人が酒に参ったと言うまで待つ」という触れ込みがありました。「本人がもう無理だとなったときに、初めて治療が成り立つから待つ」というものです。

しかし私はこの「否認」という言葉に不思議さを感じていました。真っ先に思い浮かぶ理由は、「それならばなぜ病院に来たのでしょう」と考えられるからです。

つまりそこには「飲むなら飲むで、私なりの理由があるから聞いてほしい」「目の前に医者に ”まで” 、アル中と一蹴されたくない」という気持ちが入り混じっているのです。

 「否認」ではなく「抵抗」

このようなことは依存症に限らず、世間では「葛藤」としてどこにでも生じているでしょう。つまり上述でいう「否認」は「抵抗」と言う方がより適切かもしれません。たまたま飲酒など対象が見えてくると、周囲もその対象に目に行きがちになるため、本人が飲み続けざるを得ない理由に目が行きにくくなってしまいます。そこには大抵「さみしさ」があります。

 コロナ禍で誤解を招く

さて昨今のコロナ社会は、「人が信じられなくなる」要因をはらんでいます。立ち居振る舞いや息と間にずれが生じるリモートツールは、特に「感情のやりとり」には弱いものがあります。通信手段は対面と同じにはならないことを忘れないようにしたいものです。

 先走りに注意 :「コロナが怖い」で誤解を招く

ちなみにコロナといっても怖いものは人それぞれです。「感染が怖い」「金銭的に怖い」「将来が怖い」…。何が怖いかを合わせて初めて話が進んでいきます。依存症の人は「こいつも俺にレッテルを貼るのか」と戦々恐々と身構えていますが、実はこのように気を病むような誤解を生じる場面や人間関係は、このようにいつどこにでも転がっていると思われます。

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