メニュー

差別は「しがらみ」がもたらす

[2021.02.12]

差別の由縁

五輪絡みの差別発言が物議を醸しだしています。得てして問題発言と取り上げられる際、その当時者はその重要性を意識していないものです。知らないうちに脈々と刷り込まれた当事者の価値観が由来している証拠です。
ちなみに先日の新聞に、差別発言に絡めて「男性学」という社会学が紹介されていました。「男らしさ・女らしさとは…」がどのような流れで生じるか見つめる学問です。こと差別や蔑視衝動は、この「~らしさ」へのとらわれの先に生じるようです。

女性差別は、「男らしさ」へのこだわり

繰り返しになりますが、差別発言は往々にして意識せずに出るものですから、これまで当事者に「刷り込まれた」価値基準が表れたものといえます。こと女性に対する差別でいえば、周囲から「男とは〇〇たるもの」というスローガンのもと、制限された価値観を植え付けられ、それに忠実にこなす人だけが評価を得るという「煽られた」背景があるだろうと慮ります。時には自身の意思に反しても、家族を含め周囲の意向に沿うように励んで、初めて価値が与えられるという縛りです。

しかしこの過程には「価値を選べない」というしがらみが存在することがあります。よってたとえこの流れで評価を得ても、選択の余地がないことで不本意な想いがくすぶっていればいるほど、実は周囲に対する差別衝動が生まれます。なぜなら人間は不本意な想いが蓄積すると、無理矢理「これでよかったのだ」と「こじつけて」安心感を得ようと駆られるからです。これを「合理化」と言いますが、それには時に自分が信じた価値観と異なる人を無理矢理「排除」したくなる衝動にかられます。(余談ですが「排除」は少し前に流行りました…)。それでも気持ちが収まらなければ、さらに周囲にごり押しをしたくなります。

「だしぬけ」の登場が自己否定感をもたらす

さて、「こうあるべき」に忠実に来た人が、自らの「~らしさ」とは違う形で価値を得そうな人に出会うと、自身の歩みが否定されると感じ、壊したくなる衝動に駆られる…これが差別です。一見上から目線ですが、「私はあれほど我慢してきたのに、なぜ同じ態度を取らない人が評価されるのだ」という、いわばとまどいの蓄積なのです。
このように、差別には当時者に潜む「しがらみ」が無視できません。「○○とは…」「評価される人とはこうでなければならない」という想いの強さが高じ、異なる歩みの人が易々と評価されて欲しくないという叫びなのです。
このように差別や蔑視といった攻撃性には、奥底に淋しさを抱えているものです。

▲ ページのトップに戻る

Close

HOME