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我慢は禁物

[2019.05.24]

我慢の副作用

日本人は我慢を教わって育ち、あらゆる場面で波風を立てないことを是とする傾向があります。確かに日常生活の様々な場面において、いわゆる典型的な我慢が必要な場面もあるかもしれません。しかしこと我慢の際には、我慢している私を意識することが大切になると思います。
我慢している私を意識しないままでいると、その我慢をもたらした事象がなくなった後も、釈然感のない感情が続いてしまいます。「我慢をしていることを意識しないようになる」という現象に陥ってしまうこともあります。日本人はこの我慢を意識しなくなる現象すら「慣れ」という言い回しで美徳にしてしまう傾向があります。しかし放っておくと次の段階に広がってしまいます。

 「現状維持バイアス」がもたらすワナ

次の段階とは、新しい取り組みに対する二の足です。これまでこのコラムで何度か紹介している「現状維持バイアス」が由来です。
我慢あるいは怒りを意識しない期間が続くと、こと自分の中で新しい取り組みが必要だと思う場面が来ても、「もしここで新しい取り組みが功を奏したら、いままで我慢というものを使ってきたのは何のためだったんだ」という想いが、頭の中にちらつくようになります。
人間は一瞬一瞬を懸命に選択しています。「今までの選択が正しくなかった」という想いに駆られるようになると、自分自身を否定することに繋がりそうで大変辛いので、「新しいことをして嫌な想いに駆られるくらいなら、今のままでいる」という方を選んでしまう。
これが現状維持バイアスの根底の一つです。

 我慢のもう一つの副作用

このように人間は、自らのキャリアを自ら否定したくはありません。そしてそのキャリアが長ければ長いほど、そこからの変化を嫌い、場合によっては無根拠にまつり上げてしまうことすらあります。ここで我慢というキャリアが長く続けば、今度は「我慢以外の新しいことに取り組んでかえってうまくいかなかったらとても惨めだ。それならば新しいことをやらないほうがよい」と考えるようになります。
こと日本は我慢が美徳になっているところが、かえって我慢そもそもの意味付けを分解する余地を与えなくしているように思えてなりません。
このように物事に対してただただ我慢することは、未来の想像力を奪ってしまうのです。

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