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気難しい人とは

[2013.04.10]

人間の性格を示す日本語に、「鼻っ柱が強い人」という表現があります。「見栄っぱり」「意地を張る人」「ツンケンしている人」などの言葉も近い意味かもしれません。

このように概して「気難しい」と呼ばれる人は、周囲から遠ざけられたり構えられることもあれば、反対に妙に親近感を抱く人は懐に入れすぎて可愛がる関係になったりと一定していないため、家庭でも社会でもある意味一目置かれる存在になることがあります。ただ人間関係上の地雷を持っているため、この琴線にふれてしまうとたちまち豹変するということから、このように「気難しい」という言葉が使われたりするのでしょう。

このように「気難しい人」は評価が分かれる対象になりやすいのですが、しかし当の「気難しい人」は、別に望んでこのような立ち居振る舞いをしているわけではありません。

「気難しい人」は、先に先制攻撃的な防衛線を張っているのです。ある人に優しい私で接し、その結果思い通りに親密にならなかったときに、必要以上に「大きなショック」と感じる癖が出来ています。これに向き合うことが非常に怖いため、先に見栄を切ったり、あるいは上から目線で入るなど、いわば親密にならなかった時にショックと感じないように自分を守っているのです。

このような無理な表現をした結果、何も知らない相手からは遠ざかられてしまうという望まない人間関係に至ってしまうのですが、実は「気難しい人」にとってはまがいなりにもベターな方法なのです。本当はお互いに首(こうべ)を垂れて挨拶して仲良くなりたい、でも「相手から毛嫌いされたらどうしよう」というこれまでの人間関係の癖が思い出されると、無理に鼻っ柱が強い対峙をします。そしてその結果相手は毛嫌いして離れていったりもありますが、当人は「私がわざとこういう立ち居振る舞いをしたから、相手は逃げて行ったのよね」というストーリーとして認識し、へこまずに自己完結できるからです。

一方で「私のこのような立ち振る舞いに、乗ってきた人のみ自分の懐に引き入れる」というガードを作って付き合う相手を選別しているのです。つまり、自分の周りにこころの防波堤を作っているのです。その防波堤を乗り越えきてくれれば、「あんたはええ奴や」ということになって受け入れます。これは別の視点から見れば、「人間関係を相手に委ねすぎている」わけですし、いずれにせよ「人間関係が怖い」人は、このこころの防波堤が高くなります。

ところで、なぜそもそも「親密にならなかった人間関係に対し、大きなショック」として感じてしまうのでしょうか。すぐに敵か味方かを判断せざる得ない関係が、ご本人の生い立ち、特に同性親との関係に帰していると思われます。

治療や相談では、出来る範囲で現状の時計を進めるとともに、このように過去に立ち返りご自身の見つめなおしをしていくことをお奨めしています。

気難しい人は得てして、さびしさを隠しながら生きています。

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