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COLUMN院長コラム

「家族の想いを伝えるか」 : 不登校のこども・休職中の夫を持つ家族の悩み

2019.02.21

「家族の気持ちを伝えるか」について

不登校の子どもや長期休職中の夫などの家族から、「どう本人に伝えていいのか」というご質問を多く頂きます。これはマスコミが喜ぶ回答ですと、「そっとしておきましょう」となるでしょう。しかし家族の中で「そっとし続けて変わっていく」のは、なかなか困難です。なぜなら同じ屋根の下に住む家族という組織には、「言わなくても伝わる」という相互干渉が既に生じているからです。

「伝えることが出来る人は、社会生活のある家族」

さて例えば不登校の子どもに対してならば、親の立ち位置によって変わってきます。つまり社会が狭くなっている子どもに対し、例えばいまコミュニティが例えばスマホしかない親が「学校に行って」と伝えても、「自分とは違う立ち位置」なので染み入らないでしょう。よってコミュニティがないこの親の選択肢は、「無理しなくてもいいよ」になります。
つまりコミュニティがない親だから、波風が立たない表現しか使えないのです。別の言い方をすれば、「言う側がどのような立ち位置でも不測の事態にはならない」のが教科書的で無難な表現となります。
しかし、それでうまくいったのなら、固定化はされていないでしょう。

同じ立ち位置の人に言われれば、やっと振り向く。

一方例えば休職中の夫に対し、就労中など社会に出ている妻ならば、上述の「無理しなくてもいいよ」は使う必要はありません。「私としては家にずっといてほしくないと思っている」と言って構いません。
これに反対するという方もいると思います。「働いている妻が休職中の夫に『仕事してほしい』と言ったら、夫はさらに妻に申し訳なさを感じるのではないか」という想定です。その流れは一時的には生じますが、家族関係のポイントである「ひきずるかどうか」の流れにはならないのです。
「家族の中で様々な意見が出る中で、各々が腹を括る」というのが穏やかな家族像です。もちろん「ふつう男は、夫は働くものでしょ」という世間を使った迫り方はご法度です。しかし働いている妻が休んでいる夫に「私は働いてほしいと思っている」という”I think~“ の言い回しは、提案と映ります。「自分の意見を述べる妻」に影響を受けて、「自分で選び行動しようとする」腹を括れるようになる姿が夫にも生まれてきます。

万人が反対しない教科書的表現は、波風も立たないが発展もしない。

前述のように家族という組織は、大抵「同じ屋根の下に住む」という意味で、黙っていても干渉される構図になっています。よって要望する側と要望される側との立ち位置の違いを意識することになります。
要望する側が「自分の ”いま” の暮らし向きと同じ方向に相手に近づいてほしい」という場合は、” I think ~ ” を使って自分の意見を伝えることを推奨できます。「気を遣わせている」という想いがはびこりやすい家族においては、家族同士で「申し訳ない」という想いを抱かせない方針が基本となります。つまり働いているお母さんが子どもに何も言わずに「そっとしておく」ことは、いずれ不登校の子どもが母親の気持ちを「悟る」ことで、「親に対して申し訳ない」という加害者の立ち位置に変化してしまいます。
よって社会に出ている母親や妻が「お母さん(妻)としては、あなたに〇〇してほしいと思っている」という言い回しは、「当時者にさらなる加害者意識を抱かせない」という、ひきこもりの介入の根本に基づきます。
反対に、要望する側が要望の内容に照らした社会構造を現在まとっていない場合は、先述の教科書的な表現止まりです。よって引きこもり介入の場合、「発言者自身が社会に出ているか否か」が大きくモノを言います。従って「専業主婦の母親を持つ娘の不登校」の事例で、母親が言葉によって娘に登校を促したいと思ったなら、実は母親自身が「三人以上のやりとりがあるコミュニティ」を外部に作ることになります。