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COLUMN院長コラム

いじめ・パワハラは加害者事情

2019.05.08

対人関係問題はいわば遺伝

新年度から一か月、また今年は特に長かったGWも終了し、会社や学校では本格的な人間関係が築かれる時期に差し掛かりました。毎年のことですが、この時期以後に密な人付き合いによる問題が出てきます。

そのぎくしゃくの典型が「いじめ」・「パワハラ」です。これらは支配欲の裏返しによる対人関係上の問題は、未だ脈々と受け継がれていると言わざるを得ません。
これらの事象に特徴的なのは「執拗さ」です。過剰な支配欲求は、しつこさを伴います。ストーキングとも共通項がありますが、いずれもとても面倒くさい人間関係で、加害者の狙い通りに負の感情を被害者に抱いてもらわないと成立しません。

よって、高等テクニックともいえるいじめ・パワハラの加害者は、自ら被害者として体験しているか、他人の被害体験をつぶさに見る中で、これらのやり方を身体感覚として覚えた背景があるだろうという前提があります。

いじめ・パワハラは「本丸が違う」

従って、いじめやパワハラは昔の人間関係の再現ということになります。よって「この人が本当に鬱憤をぶつけたい相手は、いまぶつけている相手ではない」という見方が肝要です。
いま目の前の出来事が問題の変化や解決を望む方向になく、いわば不毛に見えれば見えるほど、そもそも「訴えたい相手が違う」ということです。親や会社の上の立場の人を相手に、「逆らえないと思って我慢した」背景がもたらしているのです。

もちろん加害者はこのことに意識をしていないでしょう。このようにいじめやパワハラは「本丸が違う」からこそ、いつまでたっても収まらないのです。本当に訴えたい相手が異なるため、加害者側はやればやるほど不全感が募る。一方で他の方法が信用できず、自らが被害を受けた方法と同じやり方しかできない。加害者は当時の悶々とした気持ちを解決することはできないので、そのままいじめやパワハラを収まらせたくなくなるといっても過言ではありません。

このように我慢の経験は、のちに強い正当化欲求をもたらします。いじめやパワハラは、過去の我慢の清算願望といってもいいでしょう。しかしこのような面倒な方法は、上述の「本丸が異なる」ため、加害者側もエネルギーを吸い取られていきます。

以上より、いじめやパワハラについては、被害者側は今の我慢を続けていてはなりません。一方加害者側は「本当に言いたい相手は誰か」を改めて見直していくことになります。