こころ、こんにちは。

COLUMN院長コラム

人間関係という運転

2019.05.16

直接要因と背後要因

先日自動車免許の更新で講習を受けた際、「事故には直接要因の他に、背後要因を考える必要がある」という案内がありました。直接要因運転ミスや無謀運転を示しますが、その背後にある「ハンドルを握る人間の事情を考える」ことが事故の回避に繋がると述べています。

つまり運転ミスには未熟や疲れ、一方無謀運転の背後には「急いでいる」などの直近の事情の他に、日頃から感じている「そのくらいみんなやっている」「自分が守っているのだから、周囲にもそのような真似は許さない」など、その方の経験に伴う価値観ということなのでしょう。

自動車運転の時にこれがなぜ重要かというと、交通事情の中には、相手の背景や価値観を判断する材料が見えてこないからです。どのような人生を歩んできたか、それによってどのような価値観を持っているかなどが情報をとれません。よって様々な事情を持つ運転手や歩行者との間で事故を防ぐためには、「自分の都合のいいように考えて運転している人」を慮り、これに腹を立てることなく、「もしかして」を想定していくことになるのです。

「もしかして」に邪魔になるもの(阻害要因)

運転の場合これらの様々な入り組んだ要因を瞬時に判断することはできないため、「交通法規」を作って戒めています。しかし運転と同じように様々な人との関わりの中で進行する「人間関係」においては、運転ほど瞬時に判断することはない反面、「法規」というものがありません。

その代わりに人間関係では「常識」「良識」という呼称をつかっていますが、これらの「正しさ」が「もしかして」と人間関係を俯瞰して見るうえで、時々足かせになることがあるような気がします。

これがアメリカなど移民の国であり視覚的に異なる人間の集まりであれば、「自分たちと違う背景もあるかもしれないな」と瞬時に考えて遠巻きに見ることが出来るのかもしれませんが、日本や韓国などは「単一民族」であるため、「ふつうは○○なものである」という唯一無二の正しさを模索する傾向があるように思えます。これが人間関係に距離をつけて向き合う上での大きな阻害要因になっているような気がします。

加えて日本の場合は、「物事を瞬時に判断すること」が美徳と捉える風習がある気がしてなりません。これも価値観を一つに集約してしまう要因になります。

「目の前の相手のこの極端な行動は、自分の知らない事情や経験が背後にある…」と考える価値観が広がっていくことがあれば、虐待やパワーハラスメントなど無理強いの人間関係は少なくなってくるのではないかと思います。