こころ、こんにちは。

COLUMN院長コラム

悩みは縦に並べない

2019.01.15

「カリキュラム」に価値観を置きやすい日本人

日本人は、「ひとつひとつ」「一歩一歩」などが好きです。他にも、「伝統」「元祖」「本舗」「老舗」など、「脈々と受け継がれている」ものに評価を置きがちに思えます。日本に限らず韓国や中国も同じような価値観が大きいように思えます。これは仏教職のせいなのかどうかはわかりませんが、少なからず我々日本人が思っているのは、この価値観のために新しいものを受け入れいれることを得意としないことかもしれません。
よってどのような悩み事でも、「目の前のものからこなしていく」という手段を取りがちなような気がします。しかしこと対人関係においては、目の前のものから着実にこなしていくという考え方では、うまくいかないときもあるように感じます。

煽りの源泉は、上の世代の家族

確かに、「この一つ一つ着実にこなしていく」という流れは、わかりやすいかもしれません。手段も「目の前から」といった考え方はイメージしやすいです。しかしこと人間関係にとっては、目の前からこなしていくというやり方は必ずしも妥当とは言えません。
なぜなら人間関係とは、本来自分由来の代物ではないからです。人付き合い上の価値観とは、過去の関係者に「煽られた」結果もたらされた代物です。つまり「人間関係の悩み」とは、現在までのその方がお持ちの価値観で、いまが立ち行かなくなっているから悩んでいるのです。人間関係とは要するに「レシピ不足」にすぎません。
そして考え方が固着していく流れは、まさに習慣の繰り返しです。すなわち価値観も、幼いころから繰り返しなされてきたポイントが、いつのまにか自分の価値観として考えるようになるのです。他者から教わったことなのに自分のものと考えてしまうというこころの構造は、とても不思議なものです。

ヒューリスティクス(ヒトの考え方のワナ)

さてここで、冒頭で述べた日本人の価値観として否定されない「一歩一歩着実に」というスローガンが、こと人間関係の幅を広げようとするときは妨げとなります。成就のように人間関係上の悩みは「これまでの煽り」からくる「手不足」です。よって展開を図るには新しい風を取り入れなければなりません。しかし日本人の一歩一歩に付加される意味は、「自分一人で、独力で体験する」ことが重視されてしまうことです。これが本当に困ったもので、人間関係上の価値観の拡大に向けての大きな障壁です。
具体的に独力でやろうとすると何が問題になるか。それは、自分一人でイメージしやすいところから手を付けようとしようとすることです。これを「利用可能性ヒューリスティクス」といいます。人間は何も楔を入れないと、どうしてもわかりやすいところからことをはじめようとしてしまいます。ここが人付き合いが進歩していかない、いつも同じことで悩んでいることの所以です。

対人問題は縦に並べない~世間から吸収してから、困りものの親に仕掛ける。

前述のヒューリスティクスを応用すると、人は「これが解決してほしいな」という課題を真っ先に取りかかろうとして頭がいっぱいになってしまうのです。問題を縦に並べてしまい、「これが解決してから次に進もう」と決めて、実は最も扱いにくい課題を最も目の前に持ってきてしまうのです。
具体的には「親子関係が解決しないうちは、他人様との関係は築けない」と考えて、世間の異なった風から覚えようとすることを避けてしまうのです。これが極端に言えば「回避性人格障害」です。一つの概念の中に「家で起こっていることは、外でも起きる」と思い込んでしまうのです。閉じこもってしまうのです。
親子関係で及ぼした人間関係は、世間でそのまま再現されることはほとんどありません。よって「親にかまそう」というときには、まず「親と同じような大人は少ない」ということを身体で認識してから、親に立ち向かって頂ければと存じます。
また人間関係の問題に限ったことではないかもしれませんが、こと伝統という言葉に重きを置き、価値観が画一的になりやすい日本人は、問題は縦に並べて取り掛かることを誉れとする傾向があります。しかし本当に問題をクリアにするには、事柄を横に並べ、可能なところから紡ぎ取り、最後に難敵にもっていきます。相手も世間から煽られてきた人ですから、新しい風を吹かした時こそ、やっとむつみあう流れとなるでしょう。
「世間の大人は、親のように偏ってはいない」…人間関係のレシピを増やすには、まずこのことを世間から体得していくことが優先です。