職場は特殊な集団。人間関係の構造式が違う
明日から学校では二学期が明けます。夏休み明けのこの時期が最も学童や生徒の自殺が多いようです。長い休みを経て、当時の辛かった時の再現を心配するのでしょう。
一方社会人においては、長期休暇後の学童や生徒と同じような考え方は必要ありません。精神疾患での疾病休職は月単位が多いですが、学生とは考え方を変えなければなりません。
さて復職時の心配のひとつに、「またあの時と同じようなことが起こったらどうしよう」がよくあります。これは一見もっともですが、実は職場という組織での人間関係では、あまり生じないと思って頂いた方が無難と思います。
なぜなら職場とは見える範囲同士で利害を交換しているわけではないからです。会社は顧客を相手にしています。上司と部下、同僚同士が直接利害を交換しているわけではないからです。つまり職場の人間関係は、大局的には顧客の方向を見て並列で進んでいるのです。よって理想論といわれるかもしれまぜんが、顧客を向いていない意見は結果として認められなくなっていかないと、会社という組織が継続できません。
これは顧客が疲弊する方向性の構造が生じれば、「いつまでもだまっていられない」が職場の間柄です。家族のように「ノンバーバル・コミュケーション」、つまり言葉を使わずに態度で示していく状態が続くなら、それは本当にトップの手腕を問わなければならないでしょう。実際そのような状況も時折見受けられますが、この場合は腹を括って構わないと思われます。
休職は「パーキングエリア」復職は「合流車線」
一方、休職における従業員個人とオフィスという間柄は、高速道路のパーキングエリアのようなものです。休職はパーキングエリアの入口で入り、復職時はあくまで出口から合流車線を経て本線に戻ります。その間本線は状況を変えています。
ここで休職の契機までの舞台は、あくまでパーキングエリアの入口の前にあります。本線は顧客に向かって常に流れていますから、復職時つまり合流車線からまた本線が見えるときは、休息前の様子とは変わっているのです。よって休息前のあの時と同じ状況が再び起こってくることはとても少ないのです。
むしろ復職時に当事者に弁えて頂きたいこともあります。それは「合流車線ではまだ速度が上がっていないので、必ず周囲に抜かされたり、よけられたりする」ことです。
話が最初に戻りますが、不思議と休みが長くなればなるほど「復職前の状態で戻れるか」を心配しがちになりますが、「合流時に抜かれることは折込済み」としましょう。徐々に速度を上げるのがむしろ顧客のためにも自然なのです。
よって復職時に毛嫌いしたり、または恥に感じたりすることはないのです。