メニュー

「強迫」は「脅迫」の積み重ね

[2013.07.04]

強迫性障害という疾患があります。出掛けに何度も鍵を閉めたかをチェックしなかなか外出できない「確認強迫」、あるいは汚れや菌がついているのではと気になり手洗いが止められない「洗浄強迫」など様々なものがありますが、こと強迫で本人が「悩む」場合は、その強迫の内容が「安全に対する執拗なこだわり」になっている時が多いようです。

よって強迫性障害の治療には、その場面を意図的に設定して大丈夫ということを認めていく暴露療法、あるいはその場面を想起してその時の思いや感情、妥当性を検証していく認知行動療法などがあります。いずれも「強迫のいま」を見つめていく治療ですが、この「いまを見つめる」のみでは拙いのではないかと思います。

なぜなら強迫に限らずこころの症状は、これまでの様々な出来事を反映し、かつその方が対処しようとした末の裏返しだからです。例えば「うつ」は、「考え続けても埒があかず、罪悪感ばかり増して末には死にたくなるから、いま考えるのをやめなさい」という方向へ向き合わせてくれる症状という言い方も出来ます。ましてや強迫というのは衝動ですから、必死に恐怖や不安から身を守るために方法といっても過言ではありません。

では、強迫の人が抱えている恐怖や不安はどのようなものでしょうか。それは確認強迫や洗浄強迫における共通項をみつめていくとわかります。このような強迫が悩みとなる時、その人は「安全に対する執拗なこだわり」を抱いていることになります。そしてこの「安全に対する執拗なこだわり」の由縁を振り返っていくと、直接的な言葉の有無にかかわらず、「~しないとダメ」「~しなくてどうするの!!」など厳しく「煽られた過去」が積み重なっています。

さらにもう一つのポイントは、この「過去に煽られたこと」が全く「無根拠・断定形」であることです。よって洗浄強迫や確認強迫といった、現実的にそぐわない「無根拠・断定形」の症状として現れてくるのです。周囲からすると「考えすぎ」といわれることが、本人からは百歩譲っても「考えすぎとはわかっているけれど、釈然とはしない」と感じ、強迫行為となってくるのです。

このように強迫の源は、小さな脅迫体験の積み重ねです。そして人が煽られる時、その煽る相手が自分にとって重要人物であればあるほど、知らないうちに恐怖や不安となって根付いていきます。またその流れは、ご本人の子供時代から少しずつ、かつ形を変えながら脈々と繋がっていることが多いものです。よって強迫の本人に対する治療は、いまその時の強迫思考や強迫行為のみにあらず、今まで煽られてきたことが「大きな勘違い」であることをみつめていくことが肝要となります。

▲ ページのトップに戻る

Close

HOME