親が振り向いてくれない怒り
怒りの大きな源泉は親子関係である。
新年になり改めて振り返ると、やはり人間の怒りは親子関係が源泉となると思い知らされます。いじめ・マウンティング・DV・ハラスメント…傍から見て「なぜこの人はこんな実りの出ない振る舞いを続けるのか」と考えるときは、「何かこの人には伏線があるな」と考えた方が無難です。
そしてその伏線の大きなものが親子関係…つまり成育歴に潜んでいると捉えると、全体像が見えてくることが多いものです。
封印された感情
人間関係の怒りは、基本的にはアレルギー反応です。つまり怒りを噴出させている目の前の出来事は実は初めてではなく、二度目以降に生じている過剰反応です。しかし初めての時は、疑問や驚き、あるいは対処に追われるなどで感情を整理する暇がなかった場合、後日再び似たような出来事が生じると、あの時に我慢したという想いが過剰反応に繋がります。
このように「封印された」想いは、似たような経験をした際に、あの時の想いを重ねるように、まるで火山の爆発のごとくとどめなく噴き出してきます。
対人攻撃性とは、“江戸の敵を長崎で討つ ” という合理化 (防衛) である。
これがいじめやDVといった形であらわれる、攻撃性の源泉です。
例えば巷で良く耳にする言葉に、「生理的に嫌」「なんとなくムカつく」というのがありますが、このように紐解いていくと、実態は「生理的」も「何となく」もないのです。
すでに「過去の怒りは収めた」と思っているため、過去と近似した出来事が目の前で生じた場合には、本人の中ではあくまで「相手の態度が私を ”怒らせる”」と考えます。
かつ、この感じ方が「至極当然」と思いたいので、「同意者」を求めます。実際は「この人ムカつく」と同じように周囲が感じているわけではありませんが、それでも稀に同じような体験を持つ人がいると、協力者となってしまいます。例えば学校や職場など人が多い場所では、この協力者が出来る確率が当然高くなります。このような流れで、本来場違いな単純な毛嫌いにもとづく攻撃性が、いつのまにか「正義」に変わってしまうこともあるのです。
これがいじめやパワハラが「エスカレート」する要因です。本来ムカつく問題を解決に導こうとするならば、攻撃者は折り合おうとするので、出来事がエスカレートすることはないはずです。しかしこのような対人攻撃性がとどめない方向に向かうのは、いじめやDV、ハラスメント自体が「解決したくない」「終わってほしくないイベント」として大切なものにすり替わっているのです。
“江戸の敵を長崎で討とう” としても、長崎にはその人が本当に睦みあいたい相手はいません。よってたとえ江戸がその人にとって色褪せたものになっていようとも、過ぎ去った出来事を振り返り本来の相手との気持ちに折り合いをつけていこうとする作業が、これからの人間関係との間に楔や境目を入れていくうえで大切な過程となります。
その方法のひとつに、自助グループやカウンセリングがあるのでしょう。