「こころ、こんにちは」への想い
~「こころの病」とは、他ならぬ無理をしている証拠です~
人は誰でも身体の具合が悪くなった際は、たとえそれがどのような病気でも「いまの私の様子」に目を向けていくことでしょう。
しかし「こころのやまい」は、時として本人や家族もそのような思いにはならないことがあります。
なぜでしょうか。
それは、いまの私のこころの様子よりも、「こころのやまい」にかかってしまった私自身に対して引け目に感じる思いが先行してしまいがちだからです。
「家族に申し訳ない」「世の中に迷惑をかけてしまった」「私ってどうしていつもこうなのだろう」と、自分を責める気持ちが強くなりがちです。
うつ病を初めとしてこころに不具合を生じると、なぜか本人は「私のこころの状態」よりも「世の中の私に対する見方」に敏感になってしまいます。
そして自分のこころの状態について、自分が悪かったのではないかと感じてしまう。
これが著しくなると、私ども医師や保健師、あるいは地域のこころを司る様々な援助者の前に現れたがらず、その結果としてご自身も望まない、釈然としない想いの中での暮らしが続いてしまうことがあります。
「身体の病気ならばいち早く助けを求めるのに、こころのやまいとなると二の足をふんでしまう。」
いまだ「こころの病気」に対しては、こんなところがあります。
こころに不具合が出たのに、さらに自分を嘆いたり責めたりする必要はありません。
さて、こころは大人になるのに伴って刺激や環境を受けて、本人も知らず知らずのうちに様々な纏(まとい)や鎧(よろい)のようなものを身につけていきます。
しかしある時その纏や鎧自体が、いつのまにか本物の私を見えなくさせてしまっていることもあります。
そんな時はふと立ち止まって、自分のこころ具合を点検してみましょう。
こころの症状だけではなく、「本当の私の望み」「ありのままの私」をもう一度見つめてみましょう。
「こころ、こんにちは。」
この言葉には、このような想いを含んでいます。